第4章c サイコメトリーあるいは診断

説明するには曖昧で新奇な事実を我々は抱えている。 自信を持ってそれらをサイキカルで超越的な原因にゆだねる前に、 我々は、人間の身体が識別し、発見すると考えられるすべてのことを試み、考慮せねばならない……そうすれば、 我々の知られているすべての感覚が、ある種の的(まと)を単純に形作るだろうことが、確かに想像できる。 ――そこでは、 外部および内部からの影響が、非常に頻繁に我々の中枢感覚器官に触れるのだ―― そして一方、この的の周りに、 あらゆる種類の分類されていない曖昧な知覚がばらまかれるだろう。
――F・W・H・マイヤース「Human Personality」II, P269 

 出来事の3番目の部類に私が選んだ実例は、すなわちひとつの物体からのサイコメトリー、あるいは分析であるが、 心霊研究協会のような団体の会報は別として、細部にわたって伝えるにはあまりに長い。 したがって私は概要で満足せねばなるまい。

 この出来事をもたらした実験は1901年の春と夏の間に行なわれた。 それは、女王が私に、新しく公認されたバーミンガム大学の学長を任命した翌年のことで、 従って私はリヴァプールのグローヴ・パークを後にして、エッジバストンの別の家に引っ越してしまっていた。
 そういうわけでこのケースは、リヴァプールの経験豊富で頼みになる私の助手、ベンジャミン・デーヴィス氏によって扱われることになった。 彼は、多くの通常の物理学の研究において、長年の間、私を有能に補佐してきた。(※1)

 関与した霊媒は、トンプソン某という夫人で、リヴァプールの裏町に住んでいた。 主な顧客は貧しい人々で、夫人は交霊を行なって彼らに助言を与えていた。 彼女の力は本物であると考える理由が私にはあった。 そこで、デーヴィス氏は何度か、名前を明かさずに単身訪れ、彼女に試験的な交霊を行なったのである。
 彼は名前を明かさないでおきながら、彼の訪問目的についての夫人の心配をなんとかなだめようとした。 そして彼が警察のスパイや、宣伝係でないことを信用するや否や、夫人は彼に特筆すべき交霊を何度も行なった。 その中には、彼の生活に間もなく起こるであろうことの11の小さい予想の記録もある。
 最終的に彼は、その内の7つについて、正しかったと記した。 一方、残りの4つについては、間違いだったとは彼には言えなかった。 しかしながらこれは、話の筋からは外れている。 これらの予備的な交霊が、彼に夫人の力を確信させたことさえ言えば十分だ。

 たまたまデーヴィス氏は、リヴァプールのウェールズ人社会の中に数人の友人や知人がいた。 その内のある家族は、家族内の、麻痺した病人のことで困っていた。
 その病人をディヴィッド・ウィリアムズと呼ぶことにしよう。 この男性は、ソファに力なく横たわって、ぼろ布を目的もなく片手から片手へとほうることぐらいしか出来なかった。
 彼はトランスヴァールにおいて、ウェールズ人鉱夫だったように思われた。 ボーア戦争が勃発した時、彼は他の鉱夫たちと一緒に、ヨハネスブルグから脱出して、船に乗ってイギリスに来た。 彼は航海の間ずっといくらか病んでいたが、徐々に悪化した。
 鉱山のエレベーターの満員のカゴに入って縦坑を上がってくる時に、何らかの事故が彼に起きたに違いなかった。 町の開業医は、理解がかなり難しい症例、麻痺の奇異な症例として彼を治療した。

 友達を助けたいと願って、デーヴィス氏はなにか患者の所有するものを持って霊媒トンプソン夫人を訪れることにした。 患者の兄弟も2つのものを持って、同行した。 そのうちの1つは、徹底的にいじりまわされた、ぼろぼろの布きれだった。
 兄弟は全く紹介されなかったし、情報も伝えられなかった。 しかし霊媒の用意が整った時、夫人にそれらのものが手渡された。

 彼女はすぐに、これは深刻なケースだと察した。 そして、情報を教えることをたいへん尻ごみした。 しかし彼らは、何が原因なのかを心から知りたがっていたので、事故が起きたのかどうかを夫人に尋ねた。
 促されて夫人は、ええ、彼は深くて暗い場所で事故に遭い、頭蓋骨のここの部分が圧迫されました、と言った。 夫人は、参加者(デーヴィス氏)の頭の後ろに触れて、明確にそこを指し示した。 そして、手術が行なわれるはずですと言った。 彼女はまた、その場所の近くに血の塊を示した。 それについては町医者からは全く示されなかった。

 しかし私はテストにはいい機会だと思った。 そこで私は優秀な顧問外科医であるロバート・ジョーンズ氏――今では有名なロバート卿だ――に手紙を書いた。 彼は当時リヴァプールで開業していた。 彼に住所を告げて、お願いだから、ここの患者を診て、何が原因かを突きとめてくれないかと頼んだ。 もちろん、霊媒から告げられた、我流で非公認の「診断」に関しては一切何も言わなかった。

 多忙にもかかわらず彼は患者を訪れてくれて、頭蓋骨の損傷を見つけた。 それは、彼には内緒で、前もって指摘されていた場所だった。 そしてもう一回診察した後で、手術を決意した。図は霊媒からこっそり指摘されたように負傷箇所を示していた。 そしてまた、頭蓋骨に穴をあけられた近くの場所も、血の塊があると断言された場所も。

 しかし手術が行なわれた際、ジョーンズ外科医は、凝血を発見しなかった。求められていたにもかかわらず。 彼は、凝血はそこに存在したが後に吸収された、という考えに対立するものは何もなかったと言った。

 患者は部分的に一時快復して、彼の事故についていくらか説明することができた。 今ではこう信じられている。 戦争が勃発し、ヨハネスブルグの鉱山で、鉱夫たちが大慌てで縦坑を昇って脱出した時のこと、 彼はエレベーターのカゴの端で身を乗り出していて、何か鉄の突起物で頭を強打されたのだろうと。 外科医の報告書が添えられている。

 1902年5月30日
 
 私は、頭蓋骨の陥没があると思われた箇所の近くを開けて、ディヴィッド・ウィリアムズの手術をした。 取り去った骨には、厚くなった部分とでこぼこした部分が多少あるのに気付いた。 硬脳膜の骨への癒着もいくらか認められた。 もしも凝血があったとすれば、それは実質的にすべて吸収されていた。 硬脳膜の外見は、凝血のセオリーに十分に一致していたのであるが。 硬脳膜を開くと、その下の軟脳膜がきわめて正常に見えることに気付いた。 そして脳の脈拍ははっきりしていて、明白な頭蓋内の圧力のセオリーを完全に否定していた。 私が手術した時、彼の容態は非常に悪く、明らかにこの手術は、彼の病状にほとんど変化をもたらさなかった。 ここ2週間から3週間、私は彼に会っていない。 だがフランスから帰って来たら、6月11日頃に彼を再び訪れて状態を見ることにしよう。
 
             結句、署名(ロバート・ジョーンズ)
 
 追記 言及し忘れていたが、内側のプレートが示していたように、頭蓋骨への損傷は、疑いの余地なく存在した。 もう少ししたら、もっと大きい骨片を取り出したい気がしている。

 霊媒による診察についての類似のケースは、ユージーン・オスティ著、スタンリー・デ・ブラス訳の、 『人間における超常能力』と題された本に多数見られる。

(※1) See for instance Phil. Trans. Royal Society, 1893 and 1897

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